Contemporary Art
極小美術館
Suzuki
Zuisho
鈴木
瑞祥
2024.5/12(sun)~ 2024.6/9(sun)
espoir 45
観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料「目を閉じてみえるもの」の集積から
鈴木が在学時から描いていた無数のプルトップの作品からは、ヌーヴォー・レアリスムのフェルナンデス・アルマン(1928-2005)が連想される。アルマンといえば、同一物体を大量に用いた彫刻作品*1が有名であるが、初期には「スタンプ絵画」と呼ばれる、物体にインクを塗布し、形を写し取る平面作品も手掛けていた。美術批評家の馬場駿吉はアルマンについて「日常的な事物を、日常の中から抜きとって、あらためてその存在を認識するということは、古今の芸術、哲学、自然科学に共通する普遍的な行為であるが、アルマンらが執着する“集積”という行為は、(中略)その同一種類を集めて結晶的な造形物とすることによって、自己の存在感をも確認しようとするものである(後略)」*2 と分析している。
日常的な事物を日常から抜きとり、「集積」するという行為は、鈴木の創作活動に於いて、その根幹とも言える要素である。1980年に大学院を卒業した鈴木にとって、缶コーヒーのプルトップは、アトリエや駅、駐車場など其処此処に散らばる、身近な破片であった。1981年制作の《PULL TOP》には、111個のプルトップが描かれている。そこにはプルトップ以外のなにものも描かれていない、にも関わらず、その夥しい群れはもはやプルトップではないものを表象する記号へと変質している。確かにそれは、日々自身が消費し、増え続けるプルトップを画面に描きこみ続けることで、自己の存在感をも確認する特別な行為へと昇華しているように思われる。鈴木にとって、そんなプルトップのような、自身を取り巻く身近なものこそ、自己の存在が確かなものであると確認できる大切なファクターであった。そのため、鈴木がプルトップ以後に描いていた作品、一見して抽象的に感じられる絵画も、鈴木にとっては実体を伴い目の前に存在する対象からイメージされた、具象絵画であった。しかし今日、鈴木が制作において、集め、積み重ねるものは、目に見える形象ではなく、目の中にある表象である。
2003年5月1日から、鈴木は夜眠る前に、欠かさずドローイングを描いている。毎夜、布団に入り、深呼吸をして、目を閉じる。そこに見えたものを、忘れないうちに、クロッキー帳へ手早く記録する。繰り返される行為によってもたらされたのは、7500枚に及ぶイメージの集積である。そしてそれは、プルトップとは異なる形で生み出された、鈴木が今日まで生きてきた存在の証と言えるだろう。
ただしこのドローイングは、1日だけ、描かれなかった日がある。2011年3月12日、東日本大震災の翌日のことである。鈴木はあの日、景色が更地に帰される光景を見て、目に見えているものを描くことに、確信が持てなくなった。自己の存在を確認する最も明瞭なコンポーネントであったはずのものが瞬く間に瓦解し、消失する現実を突き付けられ、確かなものとは何かが、わからなくなったのだ。
「目の前からはなくなっても、自分の脳裏に存在する風景や形はある」*3
日記のような、日々の記録であったドローイング。制作に直結させるものとして始めた訳ではなかったが、少しずつ、ただ着実に構築されいくこの集積物こそ、茫漠たる海原の中で確かな光を放つ灯台のように、強固なものに感じられた。欠けたのはその日ただ一日のみ、風邪をひこうと旅に出ようと今日まで一度も欠くことなく、ドローイングは続けられている。そこからイメージを抽出して、多色のアクリル画や立体造形物を生成するのが、今日の鈴木の制作スタイルである。お馴染みのマルマンのクロッキーブックは、今、76冊目が描き終えられ、77冊目に入ったところだ。近年の展示で主役となっている足の生えた目玉「メッセージん君」は、518体が制作され、今も増え続けている。鈴木はしかし、「まだ足りない」と、描き、作り続ける。その行為は、目に見える形象よりも確かな、しかし曖昧な姿をとりとめ、集積し続けることで、本質的な自己存在の確認を果たし、すべての消失への目一杯の抵抗を示しているように感じられるのである。
*1 アルマンの手法は、ある物を大量に集積させることで、個々の意味合いを消失し、無用な塊へと変質させる。それは広く一般に大量生産大量消費社会のメカニズムへの批判であると解釈されている。
*2 馬場駿吉「フェルナンデス・アルマン」『液晶の虹彩』(1984年 書肆山田)127-128頁
*3 「東北の被災地を表現―画家鈴木さん個展」『岐阜新聞』2016年6月16日
「メッセージん君たちが地上に立つ」
(2023年制作)
「メッセージん君たちが地上に立つ」の部分
(2023年制作)
「おもてなしⅠ」
(2023年制作)
「おもてなしⅠ」の部分
ウクライナ中心のメッセージん君No.500
(2023年制作)
「風神雷神」
(2023年制作)
各 30cm × 25cm ケント紙
「爾にかえる」
(2021年制作)
F10号
「視線Ⅰ」
(2020年制作)
F10号
「立場の揺れ」
(2020年制作)
上 F8号、中 F10号、下 F8号
「出づるもの」
(2020年制作)
各 F10号
「波動」
(2020年制作)
左 F8号、中 F10号、右 F8号
「熾火」
(2020年制作)
各 F8号
「標的」
(2017年制作)
B1=728mm × 1030mm
鈴木瑞祥
- 【略歴】
- 1953
- 岐阜県大垣市生まれ
- 1978
- 愛知県立芸術大学 油画科卒業
- 1980
- 愛知県立芸術大学 大学院修了
- 【作品発表】
- 1977
- “9”展 ※〜79年 (サカエ画廊、名古屋市博物館:名古屋)
- 1980
- SELF展 (ギャラリー・安里:名古屋)
- 1980
- うぇ~ぶ展
※80〜82年 (岐阜パルコギャラリー)
※84〜91年 (ギャラリー・鮎:岐阜)
※99年 (ギャラリー・パウゼ:岐阜) - 1981
- 個展 (BOXギャラリー:名古屋)
- 1982
- 個展 (アートサロンことぶき:岐阜)
- 1983
- BOXギャラリー企画展 (名古屋)
- 1991
- 公募 自然展 (上野の森美術館:東京)
- 1993
- 個展 (ウエストベスギャラリー・コズカ:名古屋)
- 1997
- 個展 ※12、14、15年 (ギャラリー・パウゼ:岐阜)
- 1998
- S・O・W展 ※00年 (岐阜県美術館)
- 2000
- “ん・ず会”展
※07年 (ギャラリー・パウゼ:岐阜)
※03、09、12、15、18、21年 (大垣市文化会館)
※06年 (ギャラリー・欅:岐阜) - 2001
- 弐千壱年睦月展 (ウエストベスギャラリー・コズカ:名古屋)
- 2001
- 加賀美先生とその仲間たち展 (名古屋画廊)
- 2002
- 5Works展 《5人による5部屋の5つの個展》 ※04、06、08、11、14、17、20、23年 (名古屋市市政資料館)
- 2004
- 「木」展 (法然院:京都)
- 2005
- 愛知芸大関東支部展 (東京)
- 2006
- 個展 (ギャラリー風地蔵:大垣)
- 2009
- 「風景」のコラボレーション2人展 (ギャラリー・パウゼ:岐阜)
- 2011
- 「宇宙の連環として《気配》」展 (極小美術館・サテライトA)
- 2012
- 「象の檻」展 (極小美術館:池田町)
- 2015
- 個展 (極小美術館:池田町)
- 2015
- ART TESTA GIFU 現代美術作家展 (ぎふメディアコスモス)
- 2015
- GIFU DNA 《玉井正爾と愉快な教え子たち》 (岐阜件美術館)
- 2016
- 「目を閉じてみえるもの」 ※22年 (ギャラリーいまじん:岐阜)
- 2016
- ART△ 染め・陶器・絵画展 (ギャラリー・パウゼ:岐阜)
- 2018
- 2つの自遊展《陶器と絵画》 (ギャラリー・パウゼ:岐阜)
- 2023
- 旧林住宅での「時とアートの交差展」 (愛知県一宮市)
- ※開催時点
岐阜の美術館・現代美術展が心を揺さぶる
岐阜・池田ーー 極小美術館は主にコンテンポラリーアートを扱い、入場料などはとっていない。岐阜県池田町の池田山の裾の不便な場所にあり、予約のみの来館者をうけいれているのがユニークである。
小さな3階建ての美術館は個人の家屋兼倉庫であった。彫刻家で元高校の美術教師の長澤知明さんが若いアーティストを励まそうとお金を出し、2009年にオープンした。1階と3階が展示空間で、2階はオフィス兼交流の場所である。1階と3階で別々の作家が同時展示する。
日本のどこにでもありそうな比較的辺鄙な風景のなかに建つこの小さな美術館で2人のユニークな作家の世界に浸った。
【THE JAPAN NEWS】BY THE YOMIURI SHIMBUN
Gifu Museum’s Contemporary Art Exhibits Move the Soul;
Two Artists’ Work Focuses on Theme of Time
(2024年6月17日付け)