Contemporary Art

極小美術館

2019.10/14 (mon) 〜 2019.12/1 (sun)

espoir 28

観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料

近くて遠い、内言の絵画 

三輪祐衣子 (前名古屋ボストン美術館・学芸員)

 主に朝鮮半島で使用される韓語は、大韓民国でハングル、朝鮮民主主義人民共和国でチョソングルと呼ばれる。世宗大王(1443)がこの言語を創始する15世紀半ばまで、朝鮮半島では彼ら独自の口語を表記する固有の文字を持たず、筆記には漢文(中国の文字)が用いられた。つまり口では国語(ウリマル)を話し、文章には漢文を用いていた。「話す」言語と「書く」言語が異なる、ということは特別めずらしいことではない。ただ、留意しておく必要がある。例えば、歴史は主に書かれたもので構築されるのに対し、民話や伝説の多くは話されたものから成っていることが多い。伝達が「文字」によるものか「声」によるものかで、伝えられるものの印象は大いに異なるのである。青、赤、黄、黒、白といった色名も、元来の固有語ではプルダ、プッダ、ヌルダ、コムダ、ヒダ、となる。白とヒダは同じ意味の言葉だが、その実およそ異なる印象を持つ。美術評論家の劉俊相氏いわく、ヒダは白よりも、「感情的で、動名詞のように若々しく爽やかな語感を漂わせる現在進行形の」色名なのだ。
 
 李宣喜の作品とはじめて対面したのは、極小美術館での展覧会「現代美術の視点」(2019年)であった。3階展示室の一番奥の壁に掛けられた100号の絵画は、異質とも感じられるほどの圧倒的な密度を持って鑑賞者を迎えていた。類似するものを容易に思い起こさせない独特の色調に、余白を埋め尽くす白の描線、一度見れば他のどの場所であっても一目で李の作品だとわかる強いインパクトがあり、展覧会中の“印象に残った作家”として、最も多くの人からその名が挙げられた。
 李の絵画は一見抽象的である。大きな画面にちりばめられた夥しいほどの描線は、なにか特定の対象物を模しているようには見えない。ただはっきりとした形の描写がないわけではない。むしろ形だらけと言える。紫や緑、黄色の絵具が丹念に、また複雑に塗りこめられた下地の上に、白を基調とした不揃いな形が、パズルのピースを並べるようにびっしりと描かれている。そしてその集合体によって、また別の、なんとも形容し難い歪な形が現れる。それは身体に張り巡らされた毛細血管や、分裂と増殖を続ける体細胞のような、どろどろとして柔らかい有機的なものにもみえる。一方で白色は、下塗りを縁取る描線としても用いられる。柔らかな印象とは対照的に、ステンドグラスの隙間を埋めるパテのように、固く焼しめた陶器の破片のような無機質なものにもみえる。この矛盾とも言える真反対の印象はしかし、一所に留まることなく、鑑賞者は見るたびに揺さぶられ、画中を揺蕩い続けることになる。
 鑑賞者の鏡となって、なんにでも解釈できる抽象的な形態に、圧倒的な時間の集積によって作られた濃密な画面は、「見入る」という行為を止めさせない魔力とも呼べるような強い力を放っている。しかし同時に、どれだけ見入り続けても核心には触れられない、共感や理解を阻むような距離感が、そこには横たわっている。どうやって描いたのか、なにを描こうとしているのか、そしてどこに向かっているのか、鑑賞者はなんの注釈もヒントも与えられない。介在の余地なく完結した画面は、一切の共鳴(シンパシー)を拒んでいる。目の前にあるのは、おそろしく魅力的な、しかし圧倒的な他者であるようだ。
 
 感覚的なものごとや思考を共有するための「コードのようなもの」が存在する。「言語」もその一つだ。自己の内にある混然一体としたものを、「言語」という(一部で共有されうる)コードに出力することで、自分以外の人との意思疎通が可能となる。人類が進化の過程で生み出した便利なものであるが、留意すべきはそこには常に翻訳という行為が介入している点である。“自己の内にあったもの”と“出力されたもの”とは、必ずしも常にイコールとは限らない。その上、出力された「言語」も、より多くの人と共有するために、汎用性の高い、力を持った「言語」への翻訳が推奨される。翻訳を繰り返し、整えられたものは、気づけば“自己の内にあったもの”とはかけ離れた姿になってしまっていることもある。
 一方で、作家の生み出す作品は、“自己の内にあったもの”を、ほぼ翻訳なしで目に見える形へと表出した稀有な産物である。そこには整えられる前の、混沌として理論的でない、“内なるもの”が立ち現れる。それは伝わりづらく、難解に、不気味なものに、時には狂気的にさえ感じられるかもしれない。しかし、自分ではない人の“内なるもの”、言わば他性というものは、本来そういうものであるはずだ。
 
 李は大韓民国の栄州市に生まれた。幼いころから手先が器用で美的な感覚が鋭く、ソウルの造形大学で陶芸を学び、卒業後は服飾関係の企業に就職した。服のデザインから素材の卸し、販売営業まで一通りこなし、第一線で働いていたが、人間関係の過度なストレスによって段々と心身が摩耗し、あるとき自身を取り巻いていた社会的なものをすべて断ち切り日本に移った。そして李は絵を描くようになった。
 李の制作の中心にあるものは常に「人」である。短い時間ではあるが交流を重ねる中で、李が情に厚く、人好きの、優しい人間であることはわかっている。人を愛し、大切にするがゆえ時に絶望し、人と人との繋がりや、愛情、力関係に李はこの上ない関心を寄せる。初期の作品(李が言うところの表現がまだ完成されていない時期の未発表作品)を見ると、画中の白色は、もともと人の形をしていたことがわかる。描写を探求していくなかで、色面はどんどん細分化し、形は歪んでいった。今の作品でも、ところどころ人の横顔が判別できる箇所がある。目を細めて大まかに画面を眺めれば、人間の形が見える作品もある。そういった意味では、李の作品は抽象的ではあるが抽象絵画ではない。本人は常に、特定の対象——人を描いている。しかし具象であれ抽象であれ、それは今更あまり重要なことではないだろう。この歪んでいて、重厚で、魅力的だけれども、理解を拒む、この画面こそ、李の内に在る人の姿なのだ。初期の作品からの変遷を見るに、それはまるで翻訳され、整えられていたものを解きほぐし、元に戻していく過程のように感じられる。多くの人と共有できるかもしれないイメージから、混沌とした思考のかたまりのような画面へと。李の作品は、自分以外の他者を理解することの不可能性を、そして理解し合えなくともそれが惹かれ合う理由にもなりうる可能性を示している。もとより、私たちはお互いに理解し合うことなどできない。その絶対的な前提の上に立って、共に在り、惹かれ合うこともできる。一見わかりやすいようなコードに翻訳されることで、むしろ遠く隔たってしまう他者がいる。あなたの言う白色と、私の思う白色が違っていても、ありもしない不変の正解など探すことなく、それも良い色だね、と声を大にして言いたい。

※劉俊相「韓民族の色と光」『韓国の色と光』展図録(大野郁彦訳)印象社、2002年、p.13

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現代人の実存 <現在進行形>(2017年制作)
P50号 il on canvas

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現代人の実存 <現在進行形>(2018年制作)
P100号 oil on canvas

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現代人の実存 <現在進行形>(2015年制作)
F10号 oil on canvas

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現代人の実存 <現在進行形>(2017年制作)
F100号 oil on canvas

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現代人の実存 <現在進行形>(2017年制作)
P50号 oil on canvas

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李 宣喜

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【略歴】
1986
国民大学 造形大学生活美術学科陶磁工芸専攻卒業
2011
名古屋芸術大学大学院美術研究科絵画研究領域修了
2014
愛知県立芸術大学美術学部研究生修了
【展覧会】
2007
第92回二科展-絵画 初入選
2008
第93回二科展-絵画 入選
2011
第96回二科展-絵画 入選
2011
第12回アートミラ’21 -Power of art- (愛知県美術館ギャラリー)
2011
名創展 (松坂屋名古屋南館6F美術画廊)
2012
個展 (ギャラリー名芳洞 / 名古屋)
2013
グループ展 「IDYLL」 (ギャラリーMiLu / 名古屋)
2014
ミニチュア展 (アートスペース美園 / 桑名)
2015
6人展 「それぞれの思考の拡散」 (スカイワードあさひ / 尾張旭)
2015
日韓作家交流展 (名古屋市民ギャラリー)
2015
個展 (ギャラリー名芳洞 / 名古屋)
2015
see feel enjoy ART market 2015 (BUSAN 文化会館)
2016
個展 (アートスペース羅針盤 / 東京)
2016
GIAF 2016 -Gyeongnam International Art Fair- (CECO)
2016
BIAF 2016 -Busan International Art Fair- (BEXCO CENTER 02 / 釜山)
2017
羅針盤セレクション2017 (アートスペース羅針盤 / 東京)
2017
第67回モダンアート展 初入選 (東京都美術館)
2017
個展 (ぎふメディアコスモス・みんなのギャラリー)
2017
CAF.N 金沢展 (金沢21世紀美術館市民ギャラリー)
2017
CHENNAI CHAMBER BIENNALE (インド国立LAKITKALA AKADEMI)
2017
モダンアート 中部作家展 (愛知県美術館)
2017
個展 (アートスペース羅針盤 / 東京)
2017
個展 (ギャラリー名芳洞 / 名古屋)
2017
BIAF 2017 -Busan International Art Fair- (BEXCO CENTER 02 / 釜山)
2018
第68回モダンアート展 新人賞 (東京都美術館)
2018
第6回現代美術 ZEROの視点 (ギャラリー檜B・C / 東京)
2018
モダンアート受賞作家展 (ギャラリー檜B・C / 東京)
2018
第1回ムンバイビエンナーレ (Sir J.J. School of Art / インド・ムンバイ)
2018
BIAF 2018 -Busan International Art Fair- (BEXCO CENTER 02 / 釜山)
2019
現代美術の視点 2019 (極小美術館 / 岐阜)
2019
第69回モダンアート展 (東京都美術館、愛知県美術館)
2019
第7回現代美術 ZEROの視点 (ギャルリー志門 / 東京)
※開催時点