Contemporary Art

極小美術館

2018.4/8 (sun) 〜 2018.6/3 (sun)

espoir 24

観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料

中野磨里展に寄せて 

鈴木俊晴 (豊田市美術館学芸員)

 混んでたり混んでなかったりする電車で毎日のように往復する。外の景色をぼんやり眺めたり、本や携帯に目を落としたり、音楽を聴いたりする。時々寝たりもする。階段を登ったり降りたり、コンビニに行って帰ってきたりする ―
 目的地はどうであれ、あるいは手段はどうであれ、移ろっている自分(あるいは他の誰だっていい)の、時間と空間におけるその移ろいそのものを、なんらかの方法でかたちにしてみること。多かれ少なかれ、誰もが移動する。生きていれば。呼吸や眼差しに比べれば決定的ではないかもしれないけれど、移ろうことが本質的に思える。たとえば寝たきりになっていたとしても、私たちはきっと夢を見ることで、別の場所に移ろって行く。その移ろいを可能にする「間」をどう可視化するか。A地点にいた私と、今B地点にいる私は同じだろうか。あなたと私が、ちょうど立っている場所を入れ替えたとして、それは何を共有して、何を共有できないのか。それが学生の時分からの中野磨里の関心だった。
 それは昨今の芸術大学でとかく強調されがちな「私」を回避する手立てでもあっただろう。たとえばたまたま日本人だったり、たまたまこの時代に生まれて、あるものにリアリティを感じるけれど、別のものはフェイクだと思う、とか。あれが好きだったり、これが嫌いだったりする、とか。そういうあれこれを手がかりに作品を作ろうとしても、むしろいまいち実感がわかない。
 とはいえ、19世紀の後半に始まり、現代においてはすでに古典的と呼べるこの関心は、確かに優れた先例が多いにもかかわらず、今日それを絵画を媒介として描こうとするとどうにも難しい。あまりに巨大ながら先達をひとりあげるとすれば、河原温がふさわしいだろう。全く絵画にならなさそうな記号をあえて絵画化することで、河原は上述の時間と空間への問いかけを可能にしている。ここではっきり断じてしまえば、中野のこれまでの作品は、どこか中途半端に装飾的で、同時に説明的なものに止まっていた。
 その問いが中野のなかで深化してきたのは、ようやく最近になって、いくつかの円形がほぼ同心円状に、しかし揺らぎながら重なり合うようになってきてからだろう。複数の色彩の層が複雑な色面となり、不可解ななにものかとして現前している。そこでは時間と空間という問いは一見後退するかに思えるが、時間と空間を一点に凝縮する場をいちどは定位する必要があるのだろう。それが「私」であるかどうかは重要ではない。微視と巨視のそのどちらでもある円の、その輪郭の揺らぎ、その中央部分の一言では形容しきれない色味。そのそれぞれが一でありながら多/他である何者かに触れようとしているようだ。中野の芸術の実践はようやく端緒についたところだろう。今回の展示が中野のこれからを予感させるものになることを期待している。

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全体の中のひとつ(2016年制作)
1620 × 1620 cm 綿布キャンバスにアクリル

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中野磨里

【略歴】
1989
岐阜県生まれ
2014
名古屋芸術大学洋画2コース 卒業
2016
名古屋芸術大学大学院同時代表現研究 修了
【展覧会】
2014
connect(ギャルリーくさ笛・名古屋)
2015
Flyby −接近通過−(名古屋市民ギャラリー矢田・名古屋)
2015
名古屋芸術大学大学院同時代表現研究×東京藝術大学大学院先端芸術表現科
2015
Traffic Site 交流展(名古屋芸術大学Art&Design center・名古屋)
2015
ミズマクおおがき 2015 −新進作家展−(大垣市スイトピアセンター・岐阜)
2016
みのかもannual2016(美濃加茂文化の森・岐阜)
2015
アートアワードトーキョー丸の内2016(丸ビル1階マルキューブ・東京)
2017
現代美術の新世代展2017(極小美術館・岐阜)
※開催時点