Contemporary Art
極小美術館
Nakakaze
Akiyo
中風
明世
2018.1/28 (sun) 〜 2018.4/1 (sun)
espoir 23
観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料抽象 —その向こうにあるもの—
中風明世氏の抽象作品、それはシンプルな色や形による造形を特徴とするミニマル・アートのように見えます。しかし、実際にはそれと同一視すべきものではないと思っています。近年の制作を特徴づける青や赤の色面と、それを穿つように配された銀灰色の亀裂、それらは決して無機的なものではありません。青や赤の色面は、絵具の濃淡の塗り重ねが複雑なニュアンスを生み出しています。時には絵具の垂らし込みによって、変化し流動するような動きの要素さえ、そこに加えられています。また、銀灰色の亀裂もただ単純に鋭くシャープなものではなく、細部はどこか逡巡するような不明瞭な形状を呈しています。一見するとシンプルなようでいて、実のところは曖昧さと複雑さを併せもっている、そこにこそこの作者独自の造形があります。
中風氏は高校生の頃から、とらえどころのない不安や恐怖という、自身の存在そのものをおびやかすものと向き合ってきたとのことです。そしてゴッホやユトリロ、ボナールなどの画集に掲載された作品をながめることが癒しとなり、救いとなったと語り、それに続けて、「はじめは不安や恐怖から来る喪失感から逃れるために、美術に関わるつもりでしたが、実は各時代を代表する名作は、人間が知能を持ってしまったために知覚する存在への不安、恐怖に、『死』に対する時代時代のアンサーであるか、不安、恐怖、死そのものを作品として顕現させ、存在の手触りを確認させる、と気が付きました。」と語っています。
中風氏が表現する世界は、絵画というものへの信頼と、それに支えられた意味深い内省の表れなのです。もちろんそれは大袈裟で声高に語られるものではなく、シンプルでシャープな世界の背後から、控えめにそっと顔をのぞかせているだけです。
「WORK 57」(2015〜17年制作)
340w × 70h mm × 296pieces ミクストメディア
撮影:佐藤健太
中風明世
- 【略歴】
- 1960
- 岐阜市生まれ
- 1982
- 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
- 1982
- 岐阜県美術館学芸課勤務 ※〜1983年
- 1986
- 中風美術研究所設立
- 1998
- NHK文化センター講師
- 2007
- 岐阜市立女子短期大学非常勤講師
- 【個展】
- 1988
- 第1回 (ギャラリーコンセプト・岐阜)
- 1989
- 第2回 (ラブコレクションギャラリー・名古屋)
- 1994
- 第3回 (ギャラリークロッキー・岐阜)
- 2000
- 第4回 (画廊光芳堂、ギャラリーなうふ・岐阜)
- 2003
- 第5回、第6回・05年〜第21回・14年 (アートスペース羅針盤・東京京橋)
- 2005
- 第7回 (北ビワコホテルグラツィエ・滋賀県長浜)
- 2009
- 第11回 (ギャラリーパスワールド・岐阜)
- 2009
- 第12回 (イナテックギャラリー・愛知県幡豆郡)
- 2011
- 第16回 (極小美術館)
- 2013
- 第18回、第22回・16年 (ギャラリーあさひ・愛知県尾張旭市)
- 2014
- 第20回 (ギャラリーいまじん・岐阜)
- 2016
- 第23回 (岐阜市歴史博物館分館 加藤栄三・東一記念美術館)
- 【グループ展・受賞歴】
- 1996
- モダンアート展 ※〜現在 (東京都美術館)
※1997年・新人賞受賞
※2001年・奨励賞受賞
※2002年・会友佳作賞受賞
※2003年・会友佳作賞受賞、会員推挙 - 1997
- モダンアート明日への展望・俊英作家賞受賞(横浜市民ギャラリー)
- 1997
- モダンアート中部作家展・奨励賞受賞(愛機県美術館)
- 1998
- 岐阜現代の美術展 ※〜02年 (岐阜県美術館)
- 1998
- CAF展 ※00年 (埼玉県現代美術館)
- 1998
- モダンアート明日への展望・俊英作家選抜展(埼玉県現代美術館、横浜市民ギャラリー)
- 2000
- 岐阜市芸術文化奨励賞受賞 ※岐阜市教育文化振興事業団主催 (岐阜市)
- 2000
- 岐阜市芸術文化奨励賞受賞記念展(岐阜信用金庫本店)
- 2001
- MAQ展(井上画廊・銀座)
- 2002
- 岐阜市芸術文化奨励賞受賞作家展(岐阜市歴史博物館分館 加藤栄三・東一記念美術館)
- 2002
- MAQ-02展(ギャラリーセンターポイント・銀座)
- 2002
- 第36回現代美術選抜展 ※文化庁主催 (北海道釧路芸術館)
- 2010
- ベスパ・プリマベーラと作家たち(極小美術館)
- 2012
- 象の檻展(極小美術館)
- 2015
- 篠田守男 中風明世展(アートスペース羅針盤・東京京橋)
- 2016
- 宇宙の連環として(極小美術館)
- 【コレクション】
-
■三河湾リゾートリンクス
■岐阜市立女子短期大学
■アートスペース羅針盤
■アンティークジュエリー・クレセンテ
■ひぐちクリニック
■リゾラ・ディ・エム
■極小美術館 - ※開催時点
美術教育に携わるものとして、学校教育において授業数が減る、美術館に対する予算が年々減っている、など、今後ますますこのジャンルの先が細くなる不安でいっぱいです。
「もともと美術は、最少の人々に支えられている。ものだ。」そうですが、若い人たちの不安は、やはり出口ではないでしょうか。
いたずらに、若い人たちを美術の専門家にならないか?と煽導するのは良くありません。道は、どんな道でも自分で決めるから、力が湧くのです。
ただ、美術の道を歩んでみたいと思う人には、先が見えない不安よりも、たまたま、ぼくのように、恵まれた歩き方をしている(才能はないと自覚しています。)ものもいる、と知ってもらった方が、安心してもらえます。ぼくも含めたこのジャンルを少しでも減退から発展に結びつけるのは人材です。
ぼくもまだまだ頑張ります。
(2018.01.16:中風明世)
1月24日付け岐阜新聞の文化欄で、掲載していただきました。自分の作品で、かなりはっきりした自覚のある、ベクトルの強い感情を持った瞬間のヴィジョンを作り上げてきたと思ってきましたが、豊田市美術館長の村田さんによって、「曖昧さと複雑さを併せ持つ」、と表現していただき、そういえば、シンプルで強い、は憧れであって、実際には結構忸怩たる思いを色んなことで抱えてきたなあ、ということに気がつきました。確かに、ぼくの作品は、直線が揺らいでいます。しかも、揺らぐからこそ生きているとも思っているので、結構、複雑な性格であるということです。
(2018.01.24:中風明世)
平成30年1月28日、岐阜、池田町の極小美術館で、臼井千里、中風明世展が始まりました。
雪模様にもかかわらず、80名以上の参加をいただき、どうもありがとうございました。
今回、リーフレットのテキストを書いてくださった、豊田市美術館長との出会いから、まだ短いおつきあいなのですが、テキスト、また、会話で指摘してくださった言葉から、見えてきた自分の実像は、これからの制作に、大変大きな覚醒を呼び起こしました。
テキストにおける、曖昧で逡巡とは、非常に深い、無意識のうちで決定された文体とか、話し方と言ったところで、意識にあって、言葉でわかったつもりで声高に主張する見かけの問題より、さらに深いところの私を、村田館長の言葉で明らかにしていただきました。
また、二次会の風流屋形船への道中、「ぼくは、いつも普通の格好を心がけ、はたから見たら、サラリーマンに見えるようにしている。」との発言に、すかさず、「中風さんは絶対にサラリーマンにはなれない。(要約)そんな中風さんが生きていられる世界であることが大切なんです。」と、館長が。
考えてもみれば、小学6年生のときにオイルショックがあって、実家が小さなアパレルメーカーで、母親が随分苦しそうなのを見て、漠然と、将来の夢がアラブに行って、日本が困らないよう石油を輸入してやろう、と思っていたので、高校に入ったら、経済関係の大学か、外語大学に行くつもりだったのですが、「存在の不安」にとりつかれ、美術に大きく舵を切ってしまったのですから、筋金入りでした。多分石油関係の仕事なら、商社ですから、この時に落第していました。
29歳、パリでルーブル、オルセー、ポンピドーと巡って、美術という狭いジャンルにとどまらず、形は視覚表現であっても、総合芸術としての内容が無ければならない、と思い、いずれ、人間の有り様として、哲学として、評論していただけたらと思ってきましたが、村田館長が、大学で、哲学を学んでいらした、と知り、何重にも嬉しい一日でした。
(2018.01.30:中風明世)
一言でいうとシャイな作家である。人間がシャイというのではなく作風がである。これはミニマル・アートの日本版といってもよい。日本の作家に多い内面的吐露ではなくイメージを可能な限り余分なものを削り取って純粋絵画としてキャンバスの中に留めようとする。これが見る側からすると誠に爽やかである。それは作家がこれまで生きてきた諸々を作品のなかに滲ませないとする正に絵画の独立をはかっている。これこそミニマルの本質をいっているといって過言ではないだろう。
それが今年のモダンアート展では、作風は全く変わりはないのだが余分に引かれた線が誠に控えめゆえに男の色気を感じたのである。世阿弥のいうところの「秘すれば花」であろうか。もし彼の作品をミニマルの範疇に入れさせてもらえるのなら所謂西洋のミニマリズムでは解析できない中風独自のアートといえるのではないだろうか。
(彫刻家:篠田守男)