Contemporary Art

極小美術館

2012.6/17(sun)~ 2012.8/31(fri)

espoir 05

観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料

不在の中の存在感 

長澤知明 (極小美術館代表、彫刻家)

 3月下旬、横浜みなとみらい線「馬車道駅」を下車、桜が咲く歩道を海に向かって歩くこと数分でBankArt Studio NYKに到着。
『日常の変容』をテーマに26名の若い作家の展覧会が催されていた。
 具象あり、抽象あり、インスタレーションありの、現代美術の現況を如実に表している展覧会だった。
 福村春奈はキャンバスに油彩の大作2点を出品していた。鑑賞者を凝視するような若い女性とその影。画面には彼女一人しか描かれていないが、実はもう一人の気配があり、そこに他者の存在が認められる不可思議な仕事だった。
 福村の絵を初めて見たのは3年前。岐阜市の画廊でのグループ展で、そんなに大きくないキャンバスに自画像が丁寧に描き込まれていた。昨年の極小美術館企画展「宇宙の連環として」では、丘の上に立ち尽くす女性像で、これも福村自身の自画像だった。
 自画像を描くきっかけになったのは県立加納高校美術科を受験するためだった。高校在学中、折にふれて自画像を描くようになり、美術科卒業制作展で初めて自画像を展示する機会があった。
 要するに、福村にとって身近な画材として鉛筆、木炭、スケッチブックと手鏡の道具立てが存在し、ごく自然な行為として自らを描くことになったのだろう。
 多摩美術大学に進学して東京に居を移した後、ありとあらゆる知的な情報を感覚として享受し、熟成していった。新聞で作家の藤原新也の記事を読み、「僕は人の幸福というのは、その人が生きている間に"よく生きた"瞬間が持てたかどうかに尽きると思っている。悲しい瞬間であろうと、それは"よく生きた"瞬間なんです。ひょっとしたら悲しい瞬間の方が喜びの瞬間より、人はよく生きているのかもしれない。---」と衝撃的な影響を受けた。
 「喜びの瞬間」も「悲しみの瞬間」も、自分を描くことによって言語では表現できない感情を伝えられるかもしれないという動機が芽生えた。
 映画『夢ばかり、眠りはない』を渋谷の映画館で見て、秋葉原無差別殺傷事件を思い起こし、自らも被害者、もしくは加害者になりえたかもしれない日常と非日常、自分と世界との距離を知りたいと思うようになった。
 福村が画材としてアクリル絵の具ではなく、敢えて手間暇のかかる油彩に固執するのは、絵具が乾くまでの時差に、対象となる自らの表情を極限まで織り込みたいという思いなのだろう。
 日々刻々と変化する現代社会に生きている人間として、自己への内面化を通した表現こそ最善のテーマだと確信しているに違いない。
 友人は福村の自画像をみて「本人より老け顔だね」と評するが、古今東西、名画と言われる自画像のリアリティさの妙がそこにある。ジェームズ・アンソールの≪仮面の中の自画像≫やピエロ・デラ・フランチェスコの≪キリストの復活≫の画中の兵士を見れば、自明であろう。
 派手さはないが、時流に流されることなく、10年、20年先を見つめて絵筆をとる、その姿にエールを送りたい。

ほんとは痛い
P120号 キャンバスに油彩(2012年制作)

福村春奈

【略歴】
1988
岐阜県生まれ
2006
岐阜県立加納高等学校美術科卒業
2010
多摩美術大学美術学部油画専攻卒業
2012
多摩美術大学大学院美術研究科油画研究領域修了
【個展・グループ展】
1909
「オル太第5回企画展 人物展」ターナーギャラリー(東京)
2010
「Art Scene in Gifu 2010?絵画・彫刻?」ギャラリーパスワード(岐阜)
2011
「-画布に立つ-福村春奈 展」相模原市民ギャラリー アートスポット(神奈川)
2011
「宇宙の連環として 新進作家と現代美術家」極小美術館(岐阜)
2012
「多摩美術大学大学院油画修了生有志学外展 日常の変容」BankART Studio NYK(神奈川)
2012
個展「エスポワール」極小美術館(岐阜・池田)
※開催時点