Contemporary Art
極小美術館
Mitsui
Sonoko
三井
園子
2013.6/9(sun)~ 2013.8/31(sat)
No.10
観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料絵画の蒸気と滴
私自身は三井園子の作品を展示したことがない。ただ、上前津にあるガレリア フィナルテでの展示を見続けてきただけである。彼女の作品はいつも地下を降りたところにある、あのギャラリーの空間に見事にはまっていた。
最初からあの場所に存在していたかのような雰囲気すら持っていた。街中のビルの一室に、作品を展示することがそれほど奇異なことでなくなってきた今ではあるが、あのギャラリーの空間からは今だに動かせないように思える。絵の具の液体感を感じさせる色面のレイヤーを重ねたキャンバスに近い布が壁に広げてあり、それが天井にも伸びていき、同時に床にも垂れ下がる。その作品の姿は植物的なのか、それとも動物的なのか。あるいは大地的なものか、それとも液体的なものだろうか。彼女の作品を前にこのような問いかけをしたくなる。天井へは気体のようにして伸びあがっていき、壁には固体として引き伸ばされ、そして床には液体のようにして沁み出して、我々の足元に忍び寄ろうとする。つまり、ここは森なのか、それとも、森の中の湖なのか。美術や美術館のモダニズムが進化していく中で、ホワイトキューブの空間が標準として確立されていった。そのホワイトキューブの純化を求めていくうちに、絵画が架けられる壁、天井、そして鑑賞者が立つ床の意識を消しさるような空間を作られてきた。壁、天井と床の三つの物質感が消えていけば、自ずと目の前に作品だけが立ち上がる。最後に消し去るべき存在は鑑賞者である。その一方で、こうした純粋な空間性と作品の存在に疑問を呈する美術の動きは常にあって、彼女の作品はその流れに位置づけることができる。空間にやさしく寄り添うというより、都市空間の地下で生き生きと寄食している姿である。それが彼女の作品の本当の強さを示している。
「pause my mind」(2006年制作)
acrylic on cloth
「release」(2012年制作)
acrylic on cloth 左・220×290㎝ / 右・330×400㎝
三井園子
- 【略歴】
- 1969
- 岐阜県生まれ
- 2092
- 名古屋芸術大学絵画科洋画卒業
- 2095
- 名古屋芸術大学絵画科洋画研究生 =96年まで
- 2096
- ニュ-ヨ-ク (アメリカ)在住 =98年まで
- 2001
- “International Workshop for Visual Artists in REMISEN BRANDE” ブランデ (デンマーク)
- 2002
- “VILNIAUS PLENERAS 2002” Church of St. Catherine ヴィルニュス (リトアニア)
- 2002
- Cite Internationale des Arts パリ (フランス)
- 2003
- チャールストン (アメリカ)在住・05年まで
- 2009
- “International Workshop for Visual Artists in REMISEN BRANDE” ブランデ (デンマーク)
- 2011
- 第26回ホルベイン・スカラシップ奨学生
- 2012
- “Viborg International Billboard Painting Festival” ビボー (デンマーク)
- 【個展】
- 1996
- “HITOBITO” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2098
- “STAY” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2000
- “people in the park?” コバヤシ画廊, 東京
- 2000
- “people in the park?” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2002
- “crowded” コバヤシ画廊, 東京
- 2002
- “around” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2004
- “people around me” the:artist:network, ニューヨーク(アメリカ)
- 2004
- “make good” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2004
- “people around me” コバヤシ画廊, 東京
- 2006
- “pause my mind” Studio Open, サウスカロライナ (アメリカ)
- 2006
- “pause my mind” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2006
- “pause my mind” コバヤシ画廊, 東京
- 2007
- “pause my mind” 北ビワコホテル グラツィエ ギャラリー, 滋賀
- 2008
- “one piece of” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2009
- “it hangs. in other words it is connected” コバヤシ画廊, 東京
- 2010
- “hanging from there” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2011
- “staying in the mind” コバヤシ画廊, 東京
- 2012
- “release” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 【主なグループ展】
- 1990
- “omuni Land-scape” Gallery YOU, 愛知
- 2092
- “Aroma Therapy” ギャラリーハウス, 名古屋
- 2093
- “Aroma Therapy II” 名古屋市市政資料館, 名古屋
- 2093
- “ラ・ルシュ” 名古屋市市民ギャラリー, 名古屋
- 2094
- “Aroma Therapy III” 名古屋市市民ギャラリー, 名古屋
- 2095
- “Rising Sons” 瑞穂区留学生宿舎, 名古屋
- 2095
- “それぞれの空間表現” 岐阜県美術館, 岐阜 (’96 ’97 ’99 ’00 ’01 ’02 ’03 ’04)
- 2099
- 名古屋コンテンポラリ-アートフェア名古屋市民ギャラリー, 名古屋
- 2000
- “Four Directions” Art and Design Center (名古屋芸術大学), 愛知
- 2001
- “Floor- Wall- Ceiling” Galerija Vartai, ヴィルニュス(リトアニア)
- 2002
- “Japan at this moment” Galerija Vartai, ヴィルニュス(リトアニア)
- 2003
- “PICNIC” - 13 artists from 7 countries - ガレリア フィナルテ, 名古屋
- 2003
- 岐阜内モンゴル美術展 内蒙古美術館, 内モンゴル自治区(中国)
- 2004
- “pollen” Art and Design Center (名古屋芸術大学), 愛知
- 2006
- 北ビワコ現代美術展 北ビワコホテル グラツィエ ギャラリー, 滋賀
形式と拓展 中央美術学院美術館, 北京(中国) - 2008
- 飛騨高山現代美術展2008 “里山と現代美術” ギャラリー遊朴館, 岐阜
- 2009
- “International Workshop for Visual Artists” Gallery SPOR1, ブランデ(デンマーク)
- 2010
- 池田山麓現代美術展 “ベスパ・プリマベーラと作家たち” 極小美術館, 岐阜
- 2010
- “井戸を掘る” ギャラリーAPA, 名古屋
- 2011
- 池田山麓現代美術展 “宇宙の連環として” 極小美術館, 岐阜
- 2011
- “Emerging Art from Japan & Around Scandinavia 2011” 横浜赤れんが倉庫, 横浜
- 2011
- 会津・漆の芸術祭 “東北へのエール” 福島県立博物館HP, 福島
- 2011
- “Remisen Brande Retorospection” ガレリアフィナルテ, 名古屋
- 2012
- “Billboard Painters Exhibition” Galleri NB, ビボー(デンマーク)
- 2013
- 織部亭28周年記念 “密度のある時間 「私の一点」” 織部亭, 愛知
- ※開催時点
初めて三井園子の作品を見た時、女性の作品だなと感じた。何故ならば今でも女流作家展が存在する様に、男を追越せの感覚が残っている。男女平等率は世界で29番目だそうである。しかしながら美術は男と競うものではない。女性の作品は女性なるが故にむしろ女性の生理からといっても良いが、自ずと渉んでくるものが根底にある筈である。
欧米では女性でなければ発想できないような作品が多々存在する。三井の作品では布を主材にして絵を描いている。キャンバスも布であるが、三井の場合、布が布として作品の重要な表現のひとつになっている。そのことによる効果としては、平面としての絵画と同時に立体をも連想させ、又逆に異なる布の種類によって布は消滅し、色彩のみが空中に存在しているようにも見える。アメリカ作家のマーク・ロスコにも似たようなところがあるが美術としての存在のさせ方は全く異なるといって良いだろう。
西欧の絵画(宗教画は別にして)は横への動きが多いように思われる。東洋では水墨画、掛軸等に於いて上から下へ、又下から上というようにパーティカルな流れが殆どといってよい。三井はヨーロッパ、アメリカに長いが、その中でこそ東洋の血が無意識の中に根底をなしたと見るべきだろう。本来美術というものは自己の確立だと思っている。その意味では外国に住むことによって東洋の生理を根底にもったといっても過言ではない。
私は何も外国に住んで錦を飾ることに麗辞を送るものではない。一歩も国を出ず錦を飾る者も少くない。最後に、この諺をつけ加えたい。“井の中の蛙、大海を知らず”に下の旬があることを知られてない。
“されど天の深さを知る。”