Contemporary Art
極小美術館
Shibayama
Toyohisa
柴山
豊尚
2025.5/11(sun)~ 2025.6/8(sun)
espoir 49
観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料
てづから −柴山豊尚展によせて−

彫刻家、柴山豊尚の作品とはじめて対峙したのは、大樋長左衛門賞を受賞したArt Award IN THE CUBE 2017(岐阜県美術館)であった。「身体のゆくえ」をテーマに取り組まれた本作は、キューブの中の空間を木の彫刻で構成した大型インスタレーションである。当時1歳になる娘と共に、キューブへ足を踏み入れると、丹念に作りこまれた彫刻作品の一部になったかのようなイマーシブな感覚を覚えた。壁面に張られたミラーパネルは、空間をややいびつに写しだし、此処がどこまでも続いているような錯視を惹き起す。地から萌え立つ木々と、恵みとなる水流の渦巻く場所、太古から変わらず繰り返される命の原風景が、そこに作り出されていた。そして、辺りを見回す私とは対照的に、自分が立つ床の積層を、興味深げに撫でまわす娘の姿が印象的であった。
柴山は岐阜県内で中学校の美術教師を勤めながら、木の彫刻作品を制作してきた。2014年頃から取り組まれる合板を主材とした作品群は、その美しい積層が特徴的である。使われる木の種類によってその色味は異なるが、どれも木という素材が持つ柔らかな色味でグラデーションが作られる。制作の工程としてはまず、およそ2センチ幅の合板を接着剤とタッカーで圧着させ、工作機械を使って少しずつ形を削り出していく。ノミやカンナではなく、木材を加工する専用の特殊な電動工具である。球体や円柱など想定する形にあわせて、予め合板を切り出し、積み重ねる。後で反らないよう中を抜き、ドーナツ状にして形成していく。最終的に削られるだろうアウトラインを予想しながら進められる、地道で繊細で、高度な技術を要する作業である。
完成した作品の印象は、じつに生き生きとして、伸びやかなものである。それらは有機的な曲線を描く形態が多く、丹念に削られするりとした表面は思わず手を伸ばし触れたくなる衝動に駆られる。手を添わせれば、滑らかさと共に木の凹凸や毛羽立ち、堅さ、しっとりしたぬくもりが感じられた。合板は、加工用に規格成型された素材である。しかし柴山の生み出す作品は、木という素材が持つ生命の実直さを、そのものであるよりもむしろ輝きを増して、内に宿している。
柴山は、武蔵野美術大学で彫刻を学んだ学生時代、金属を中心に制作していた。例えば、1977年の第7回現代日本彫刻展に出展した《IRON》は、10cmもの厚みをもつ50cm角の4つの直方体が、中央に打たれた1本の小さな楔によって台座からわずかに浮き上がり、隙間を作って静止しているという、鉄の大型作品であった。素材を介して相反する、目には見えない力に着目した意欲的な作品である。79年の村松画廊(東京)での個展では、巨大な丸太が床に並べられた。《WOOD, STEEL CABLE, IRON》と題されたそれらは、楔が打たれ、引き裂かれつつある一方で、決して引き裂かれないようにスチールケーブルが巻き付けられ、固定されてある丸太の群れであった。今まさに裂かんとする力と、裂かれまいとする力が拮抗し、凝縮された緊張感をはらむ作品である。柴山はこうした、静止しているのだけれども、対象に作用し続けている“目には見えない強い力”を、的確な着眼点によって抽出し、金属を使って作品化していた。
柴山が上京し、大学生活を送った1970年代は、折しも日本社会における既存の価値観があらゆる側面で大きく変容していく時代であった。美術においては60年代からの「反芸術」の流れや、70年の「第10回日本国際美術展―人間と物質―」開催による、コンセプチュアル・アート、アルテ・ポーヴェラ、もの派の受容など、先進的な芸術概念が次々と台頭し、「絵画」「彫刻」といったメディアそのものの意義が根底から問い直された時代である。当時同大学の彫刻学科には最上壽之(1936-2018)が教授として在籍し、共通彫塑には若林奮(1936-2003)や篠田守男(1931-)が名を連ねていた。学生であった柴山はまっさらな状態で多くの刺激を受け、彫刻家としての第一歩を踏み出したのである。
素材を金属から木へと転向したのは、大学を卒業後、郷里岐阜に戻った頃のことである。大学を卒業し、大型作品を作る作業スペースの確保が難しくなったことや、拠点を岐阜へ移し、川や山といった豊かな自然を身近に感じるようになったことなど、転向の理由は一つではないが、何より大きかったのは、金属の制作工程の不自由さであった。金属を用いた大型作品を作るには、まず完成のイメージに基づいた設計図を用意し、その寸法通り、手順通りに作業していく必要がある。作っていく中で、「やっぱりこうしよう」という変更がし難い。柴山は、素材に触れて、手を加え、調整する、その過程で生じる「やっぱりこうしよう」という素材とのやりとりを、制作において大切にしたいと考えたのである。
「こういうふうにしよう、と思っていても、絶対そういうふうにはならない。節があったり、反っていたり、木によって個性があるから、途中変更はやむを得ない、そこが面白い。」
(2025年1月アトリエ訪問の際の、柴山氏の言葉)
金属を主に制作していた時代、金属という素材は作家が意図した“作用する力”を、正しく反映するものであった。しかし木は有機物であり、その素材本来の“生きる力”が備わっている。柴山はその“目には見えない強い力”を、やはり的確に抽出し、作品化している。ためつすがめつ、触れて、押して、持ち上げて、繋げて、削って、その重みを享受し、素材とのやり取りをする制作工程こそ、それを可能にしているのである。
私は彫刻が好きだ。大きいものも小さいものも、堅いものも柔らかいものも、冷たいものも暖かいものも、現前し個として在る彫刻という存在が好きだ。彫刻とは、“触れる”という本能的で豊かな蓄積によって創造された小宇宙だ、と表したのは佐藤忠良である。私はそうした、根源的な“触れる”ことを大切にしている作品ほど、好ましく思う。柴山の作る彫刻は、その幾重にも積み重ねられた積層に、木という素材しか持ち得ぬ瑞々しい力を感じると同時に、木くずにまみれた温かく分厚い作家の手を、確かに見ることができるのだ。

ニョッキ(如木)2024
杉

コロン(木転)2024
杉

コロン(木転)2023
杉

カミキ(果実木)2021
杉

柴山豊尚
- 【略歴】
- 1955
- 岐阜県各務原市生まれ
- 1980
- 武蔵野美術大学大学院造形研究科修了
- 1981
- 岐阜県内中学校勤務
- 【個展・グループ展等】
- 1975
- 彫刻村展・彫刻村参加 ※~2025年 (岐阜県美術館、名古屋市博物館、愛知県美術館)
- 1977
- 第7回現代日本彫刻展 エスキース展 (山口宇部)
- 1978
- 個展 (村松画廊・東京)
- 1978
- 第12回日本国際美術展 群馬県美術鑑賞 (東京都美術館・東京)
- 1979
- 個展 (ときわ画廊・東京)
- 1979
- 個展 (村松画廊・東京)
- 1982
- 個展 (ASG・名古屋)
- 2011
- 歌となる言葉とかたち展 ※~2016年 (古今伝授の里フィールドミュージアム・岐阜郡上)
- 2017
- 2017Art Award IN THE CUBE 大樋長左衛門賞 (岐阜県美術館)
- 2018
- 柴山豊尚展 (各務原市図書館・岐阜各務原)
- 2020
- MUSA-BI展 (極小美術館・岐阜池田)
- 2021
- 現代美術の作法展 (極小美術館・岐阜池田)
- 2022
- 個展 (極小美術館・岐阜池田)
- 2023
- MUSA-BI展 in TOKYO (アートスペース羅針盤・東京)
- 2023
- 彫刻村50年の軌跡展 (愛知県美術館)
- 【パブリックコレクション】
- ■群馬県立近代美術館
- ※開催時点