Contemporary Art

極小美術館

2015.7/5(sun)~ 2015.9/20(sun)

espoir 15

観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料

余白の淵に佇めば 

三輪祐衣子 (名古屋ボストン美術館 学芸員)

 例えば室町時代に成立した日本の伝統芸能である狂言において、「道行(みちゆき)」という約束事がある。本舞台と橋掛りからなる簡素な舞台を、役者が独白しながら三角形もしくは半円形に一周まわる。その間、観客は役者が外出や旅行をしていたと解釈する。大掛かりな舞台装置や小道具もなく、ただゆっくりと歩く役者を見ながら、その道行に思いを馳せるのである。不思議と私たちは、何かあるよりも鮮やかに、そこに何かを見ることができる。
 原恵子の描く絵画にはたくさんの余白がある。横たわる、もしくは立ち上がった人物の周りに、点在するものとものとの隙間に、小さなモチーフを取り囲むように、真っ白な領域が広がる。画面全体のうち少なくとも半分、多いもので9割が、光あふれる白の色面で構成されている。余白とは「紙の、字や絵を書いていない白い部分」を意味するため、彼女のような油絵の表現に用いるにはやや語弊があるかもしれない。(そこに何も描かれていない訳ではないため。)しかしここでは“視認できるモチーフのないスペース”として、この余白という言葉を使いたい。と言うのもこの余白こそ、原の作品を彼女のものたらしめている無二の要素だと思うからである。
 江戸前期の絵師、土佐光起が「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」と記したように、日本の美術史において余白は慣れ親しんだ美意識の一つである。長谷川等伯の松林図屏風しかり、横山大観の瀟湘八景しかり、人は何もない空間を前に、目には見えない余情や余韻を感じることができる。それらは描かれたモチーフと見事に溶け合い、一つの完結した空間美に結実するのである。原の作品はしかし、そう一筋縄に余白とモチーフとが調和を果たす訳ではない。
 彼女の作品に登場するものは、どれも可愛らしい。代表作の《スカートを穿いた少年》(2015)や《白・呼吸》(2015)にあらわれる子どもたち、《家》(2013)のぬいぐるみ、《Skirt》(2008)や《スカートの中》(2015)の衣服、それらは砂糖菓子のような、幼い甘さを持っている。しかし一度(ひとたび)それらが彼女の描く白い空間へ置かれると、その可愛らしさは途端に霧散し、目には見えない何かがゆっくりと頭をもたげる。甘美な世界はどこか冴え冴えとした空気を孕(はら)みはじめる。筆致ののこる白の描写は、幾重にも重なる緞帳のように、途方もなく密なものが塗りこめられているように感じさせる。モチーフが持っていた愛すべき特質は、余白によって上書きされ、見る者の精神世界を反映する鏡のようなものに変化するのである。私たちはその何も描かれていない空間に、何か描かれているよりも確かに、集積した自身を見ることができる。
 「余白というのは意識がためられてためられて、それらが止揚して生まれる空間」だ。そう述べたのはデザイナーの原研哉氏である。何もないのではなく、むしろ厚く積み重なったものが余白になる。そうであるならば、原の作品に集積したものはどれほど膨大であることだろう。大きな画面に描かれた小さなモチーフを見つめ、その道行に思いを馳せる。

DMイメージ

DMイメージ

DMイメージ

白 呼吸

DMイメージ

海坊主

DMイメージ

投げる子

DMイメージ

鉄塔

DMイメージ

天使

DMイメージ

スカートを穿いた少年・ピンク
1940×1120㎜ 油彩・キャンバス

DMイメージ

原恵子

【略歴】
1960
岐阜県生まれ
1981
大垣女子短期大学美術科卒業
1998
第16回上野の森美術館大賞展
(以降17回、24回、25回出品)
1999
第3回熊谷守一大賞展
2000
第1回アーティストサポートコンペ入選作品展
(ギャラリーCHIMENKANOYA・東京)
2000
二人展 林寿子・原恵子(ギャラリー沙和・名古屋)
2002
個展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2003
第5回熊谷守一大賞展 入選
2004
個展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2005
第6回熊谷守一大賞展 佳作賞
2006
個展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2007
個展(北ビワコホテルグラツィエギャラリー・長浜)
2008
飛騨高山現代美術展(ギャラリー遊朴館・高山)
2008
グループ展「4angles」展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2009
個展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2010
池田山麓現代美術展「べスパ・プリマベーラと作家たち」(極小美術館)
2011
池田山麓現代美術展「宇宙の連環として 気配」(極小美術館)
2011
グループ展「ranway」展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2012
池田山麓現代美術展「象の檻」(極小美術館)
2014
グループ展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
2015
グループ展「赤・白・黒」展(ギャラリー名芳洞・名古屋)
※開催時点