Contemporary Art
極小美術館
Nakakaze
Akiyo
中風
明世
2011.11/6(sun)~ 2012.3/11(sun)
No.05
観覧申し込みは090-5853-3766まで。入場は無料
モダンアートの深層 -catch a glimpse

極小美術館で開かれた「ベスパ・プリマベーラと作家たち展」を訪れた時のことである。赤色のキャンバスを縦に貫くメタリックなシルバー、楔か亀裂か、また稲妻のようにも見える。その部分を指差し「これは何?」と彼に尋ねたことがある。冗談っぽく「隙間から誰かがチラッと見た( catch a glimpse )感じ」と言われた。彼、中風明世が画家を志すことになったのは、高校時代に体験した時空を超えた無の世界への畏敬からであるという。そもそも彼の作品は私のイマジネーションを掻き立てるというより、そんな気ままな遊びは許さないような緊張感がある。しかし、その彼の画家としての原点を考えると、その「隙間」は暗く冷たい深淵につながるのかもしれないと想像を逞しくする。その存在は、彼がキャンバスに向かうたびに模索され、また対峙されるに違いない。赤はその暗闇の世界に漂う虚脱感や絶望感への抵抗の証であろうか。さて鑑賞者である私たちはその「隙間」から何を見るのだろう。
岐阜を拠点としながら東京でも長年個展を開き、また数々の受賞と高い評価を受けている。最近では海外からの関心も高いという。絵画とは無縁で素人の私は、同級生の好でその一部の作品を鑑賞し得たに過ぎない。しかし、どの作品も自分を限りなく追い詰め、その限界の張り詰めた一瞬を、凝結し表現しているように思われてならない。真一文字に口を結んだ青年のように一途なそして悲壮な決意を感じる。しかし、この画家は、その観念の強さとは裏腹(?)に、地の底からの誘惑も glimpse といってのける不思議な茶目っ気も兼ね備えているようである。

WORK 50(2010年8月制作)
1940×1620㎜ ミクストメディア(油彩、アクリルetc)

WORK 45-1

中風明世(仕事場で)
- 【略歴】
- 1960
- 岐阜市生まれ
- 1978
- 岐阜高校卒業
- 1982
- 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
- 1982
- 岐阜県美術館学芸課勤務
- 1983
- 岐阜県美術館辞す
- 1986
- 中風美術研究所設立
- 1998
- NHK文化センター講師
- 2007
- 岐阜市立女子短期大学非常勤講師
- 【個展】
- 1988
- 第1回中風明世展[岐阜、ギャラリーコンセプト]
- 2089
- 第2回中風明世展[名古屋、ラブコレクションギャラリー]
- 2094
- 第3回中風明世展[岐阜、ギャラリークロッキー](画廊企画)
- 2000
- 第4回中風明世展[画廊光芳堂、ギャラリーなうふ・岐阜](画廊企画)
- 2003
- 第5回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋]
- 2005
- 第6回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 2005
- 第7回中風明世展[北びわこホテルグラツィエ・滋賀県長浜](画廊企画)
- 2006
- 第8回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 2007
- 第9回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 2008
- 第10回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 2009
- 第11回中風明世展[ギャラリーパスワールド・岐阜](画廊企画)
- 2009
- 第12回中風明世展[イナテックギャラリー・愛知県幡豆郡](画廊企画)
- 2009
- 第13回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 2010
- 第14回中風明世展[アートスペース羅針盤・東京京橋](画廊企画)
- 【主なグループ展】
- 1997
- モダンアート展、新人賞受賞[東京都美術館]
- 1997
- モダンアート明日への展望・俊英作家選抜展、俊英作家賞受賞[横浜市民ギャラリー]
- 1997
- モダンアート中部作家展、奨励賞受賞[愛知県美術館]
- 1997
- モダンアート展、会友推挙[東京都美術館]
- 1998
- (~'02)岐阜現代の美術展[岐阜県美術館 主催・岐阜県美術館]
- 1998
- (~'03)モダンアート明日への展望・俊英作家選抜展[埼玉県現代美術館](埼玉県現代美術館、横浜市民ギャラリー毎年交互開催)
- 1998
- CAF展[埼玉県現代美術館]
- 2000
- 岐阜市文化奨励賞受賞・岐阜市・岐阜市教育文化振興事業団
- 2000
- 岐阜市文化奨励賞受賞記念展[岐阜信用金庫本店]
- 2000
- CAF展[埼玉県現代美術館]
- 2001
- モダンアート展、奨励賞受賞[東京都美術館]
- 2001
- MAQ展[銀座、井上画廊]
- 2002
- 岐阜市芸術文化奨励賞受賞作家展[岐阜市歴史博物館分館 加藤栄三・東一記念美術館]
- 2002
- モダンアート展、会友佳作賞受賞[東京都美術館]
- 2002
- MAQ-02展[銀座、ギャラリーセンターポイント]
- 2002
- 文化庁主催、第36回現代美術選抜展[北海道立釧路芸術館]
- 2003
- モダンアート展、会友佳作賞受賞、会員推挙[東京都美術館]
- 2004
- 美濃町屋回廊[美濃市主催]
- 2004
- モダンアート展[東京都美術館]以後同展での発表を続ける
- 【パブリックコレクション】
-
■岐阜女子短期大学
■リゾラ・ディ・エム、アンティークジュエリー・クレセンテ
■ひぐちクリニック
■三河湾リゾートリンクス
■アートスペース羅針盤 etc - ※開催時点
中風明世は2度死んだ。
一度目は刑事として殉職し、盛大な告別式をあげてもらった。
二度目はインチキ画家として、奥多摩の見知らぬ橋から腐敗死体となってロープでぶら下げられた。
というのも、友人の高名(らしい)脚本家H氏の作ったドラマの出演者(脇役)にぼくの名前を貸したというか、使ってもらったからだ。
インチキ画家の巻など、H氏は、銀座の個展のシーンがあるから中風の本物の絵を置いたらどうかと悪のりし、ぼくに「作品貸して。」と言う。ぼくは胸の奥に小さな不安を感じ、「一度ネット上でいいからぼくの作品をディレクターに見てもらった方が良いよ。」と言うとしばらくして、「悪いけどさー、ディレクターが中風の絵はお茶の間の主婦の人々にはさっぱりわからんから使えないって言ってる。」とのことでした。えーんだよそれで。
つい最近は、「中風明世の作品は、はがき一枚で2000万円もするのか?」と主人公のセリフにさりげなく入れてくれたそうだ。それで少しでもぼくの作品の値段が上がったら、一杯おごらせようとする算段だったが、それも敏腕ディレクターにみつかりあっさりカットされたらしい。
こんな具合でぼくだけではなくH氏の友人連中は被害者として残忍な殺され方をしたり、時には殺す側、犯人になったりする。(あまり主人公はいない。)
ぼくが画家になったのは、高校生の頃、「死」や「宇宙」の想念に酷く取り付かれ、そこから逃れるためだったのに、年々それは重大なモチーフとなり、足腰が崩れ落ちそうなほどの存在の不安感をともなってぼくの前に立ちふさがる。
「人間失格」や「とかとんとん」を書いた太宰治を、「あんたまだ小説にするエネルギーあるやんけ。」と斜めに見て、ぼくのほうがしんどいわ。とうそぶく高校生でした。
とはいえ、この世はディテールが良く出来ていて、身近な人の温かい人情に助けられ感謝したり、大きく元気一杯に咲いたひまわりに感動したりする。コンクリートのヒビから雑草が生え出しているとかに、つい、頑張れーって言ってみたりね。
これはこれで現実やんか。と、「在る」ことの実感を得たりするから難しい。
そんな右往左往しているぼくの展覧会です。よろしくお願いいたします。

WORK 52-Bowlegs-
青の作品

自分の内面に、言葉にできないほど深く、広く、輝くような青色が染みて行く時があります。愛する人への思い出や、心を動かす風景や、その二つが織りなす特別な思い出であったりします。
海を見て、その果てしない水平線に思いを馳せます。水平線上に広がる広大な空、宇宙を見て起きる心の振動は、時には大きく、時には繊細にシンクロし、海岸に押し寄せる波のようです。自分はその一部として包み込まれていきます。
今を生きる一員として、過ぎ去った、あるいは、未来に向かって続く「時」の絶対的な象徴として、シルバーの織りなす色合いを楽しみました。
心の中の哀切を誘うほど大切で、キラキラしている世界。まるで水中に抱かれたり、空に吸いこまれながら愛を感じるような―
作品を作りながら、終始、そう思っていました。
赤の作品

有機的な赤は生の昂揚、歓喜や感動が永久に続くようにとの祈りを表現しています。無機的なシルバーは日常での別れ、生の最終での完全な別離、無、非情さを表現しています。
祭りはいつか終わるからこそ、強烈に楽しく、哀しい。